暗黒騎士団剣文録

ペンが剣より強いのは、君との距離が近いから。

「Achernar」について

お久しぶりです。

久し振りに自作を読み返す機会があったので、GLF30内にて開催された「その燈火を恋という」で頒布した同人誌「Achernar」について少し記そうかなと思います。

解説、というほどのものではなく、今読んで思ったことや、当時考えていたことをぽつぽつと書き出していくだけのものになりますが、よろしければお付き合いいただけますと幸いです。

 

Achernarはpixivにて全編公開しておりますので、興味のある方やなんか懐かしいなと思った方はご一読ください。

 

#やがて君になる #水泳少女 Achernar - 旧ヶ丘速贄の小説 - pixiv

 

 

 

タイトルについて

作品タイトルの「Achernar」に関してですが、実在する星の名前から取りました。やが君と星は切っても切れない関係にありますからね。

アケルナルという名前は「川の果て」が由来になっており、「人生は流れる川に似ている」という結論を出した原作に対し、「川の流れが行き着く先」を書きたいと思っていたのでタイトルはすんなり決定。本文を書き始めるより前に決まったと思います。

「川の流れが行き着く場所=海」という結論も、この時点で出ていた記憶があります。

 

 

プロットについて

あまり深くは決めていなかったと思います。ただ、

「佐伯さんとの関わりで刻まれたトラウマと向き合う話」

「『特別』であること、『選ぶこと』の話」

この二点だけは根幹として最初期に定めました。

 

選ぶことの難しさ、残酷さはやが君を読んで強く印象に残ったポイントなので、これに関しては一つ自分なりに答えを出しておかないといけない、と考えていた時期だったのは印象に残っています。

 

後は「人は変わるもの」ということ、「『愛』とは何か?」ということ……やが君をきっかけに考えたことを全部乗せたような作品ですね、これ。

 

 

キャラクターについて

・日下部五十鈴

佐伯沙弥香さんが小学五年生の時に通っていたスイミングスクールで同じクラスだった女の子、通称小5の女。あるいは小5ちゃん。

原作では名前がないので、まず名前を決めるところからスタートしました。

「星」の話であったやが君の裏側、ということで太陽に関するワードを入れたいな、というのは最初から考えていました。

確かTLで「(日焼けの印象から)名前に日が入ってそう」というツイートを見掛けたのも理由の一つだったと思います。確か。多分。

枝元さんとの被りを避けるため「陽」ではなく「日」にし、苗字の方に入れることも決定。

名前には「五」を入れたいよなぁ、と考えていました。

幾つか候補を挙げ、ちょっと出口に見てもらって決めた記憶があります。

出口に関してはアイディア出しから校正と、完成に至るまで数多くの協力をしてもらいました。感謝。

今まであまり主役として書いたことのないタイプでしたが、原作の時点でキャラが立っていて、掴みやすかったのもあってか書くのに苦労はしなかった。

 

 

・岸川純香

高校生編のメインキャラクターの一人。

佐伯さんとある程度遠く、五十鈴とも近すぎない立ち位置を考えた結果、ちょっと不良っぽい感じに。

「愛の非永遠性」がテーマとしてあり、家庭が不和を抱えているという設定は初期から決められていたため「やや荒れているが他人の痛みに配慮できる人物」という点を意識して作られていった感があります。

 

物語の本筋が「川の流れ」にあり、それを横から眺めている人物なので「岸」を苗字に。

五十鈴を陸に連れ出す人物、という意図もあったと思います。

最初は「岸辺」「岸田」などの候補もありましたが、直球で行こう!という意志や菱川リスペクトがあったため「岸川」に決定。

名前に関しては、菱川六花、佐伯沙弥香、樋口円香と「か」で終わるキャラにのめり込み続けていたため、彼女も「か」で終わるようにしようという意図がありました。

 

 

・湊場文

小5時代の佐伯さんを想起させるような、厳しくストイックな造形を目指しました。

水泳組は水に関する苗字をつけたいな、と考えていたため「湊」から考えました。

ポッピンQの主人公、小湊伊純から取ったのもあります。

この時期の私は今以上に「人生は川!」という思想が強かったため、命を懸けていたコンテンツ全ての要素を意識しようと考えていました。

自分を形作ったコンテンツ全てへの決算という意識を持っていたんだと思います。

 

ライバルキャラなので、五十鈴とは対照的に特別であろうとすることに拘り、選ぶことを恐れない人物として書きました。

 

 

・小灘ますみ

主要人物がみんなひねくれ気味なので、素直でお人好しな人物として設定。彼女のおかげで話を回しやすかった。

長身で体格がいいが、可愛げのある人物にしたかったため、名前も可愛い感じに。

 

今読むと結構大場ななっぽい感じがある。

それに引っ張られて湊場も若干星見純那っぽくなっているような……なっていないような……。

力関係が「ますみ>文」なのは完全に好み。

 

 

・園村菜月

原作キャラ。

ほぼオリキャラの話になるとはいえ「やが君の世界」を書きたかったのもあり登場していただきました。

それと同時に遠見西高校という舞台設定も固まることに。

元々面白半分で「遠見東の対となる存在、遠見西高校」という話を結構していたのもあり、すんなり決まった印象。

 

 

・米田

剣道少年。

彼も原作との繋がりを持たせたくて登場したキャラで、堂島と同じく久瀬先輩の後輩という設定。

舞台版の印象が良かったのもあってか「堂島枠」への好感が強かったため、出したいなぁと思って出したキャラ。

名前には明確に元ネタがあり、「堂島」「久瀬」のどちらも龍が如くの重要人物の名前であったため、久瀬の子分の米田から取りました。

同じく堂島組内の柏木や風間にするという案もあったが、米田かなぁと思ったので結局米田に。

 

 

・児玉都

原作キャラ。

せっかくだしEchoを出したい!という思いから少しだけ登場していただきました。

やや無理矢理ですが理子さんにも出ていただいています。

それにしても、舞台装置としての喫茶Echoの便利さはすごい。

「ちょっと集まって話す場所」としての適性が高すぎるし、話を動かしやすい。そして何より「やが君っぽさ」が出る。Echoを中心にスピンオフが一つ作れるんじゃないかとすら思った。

 

佐伯沙弥香さんに関しては、「佐伯沙弥香について」本編に登場したセリフのみ書いているため割愛します。

 

 

本編について

 

一章  私は星を掴めない

サブタイトルは言うまでもなく、原作第1話「わたしは星に届かない」のオマージュ。

一人称に合わせてわたし→私に変更。

 

この章は「佐伯沙弥香について」の小5パートを五十鈴視点で書いたものとなっており、句読点や三点リーダーでの細かい間の取り方を除いて、セリフに関してはほとんど本文のままになっています。

 

ささつ原作と同時進行で読んでみるのも面白いかもしれない。

実際私が書いている時はそうしました。

 

小5パートが終わるまで五十鈴は名無しのままにしておこうと思っていたので、苗字を出すのは一章の最後に。

 

 

二章 歪のたくさん

サブタイトルは原作11話「秘密のたくさん」より。

 

作中で言及された飛び降り事件は、短編集に登場した「優しくなりたい」の一件をイメージしています。

やが君世界と明確に繋がりがあるわけではないと思いますが……気持ちの問題。

 

「選ぶこと」を描くためのテーマとして「進路」という問題を選択しました。

「泳ぐことが好きだ」という気持ちと、「泳ぐことを仕事にする」という気持ちがイコールではないこと。「特別であろうとする」ことには責任が伴うこと。

「好き」の不完全性も作中通したテーマの一つだったと思います。何かを好きであるのは大事だが、好きなだけではどうにもならないことがある……。難しい問題ですが、自分なりに「やが君」に対するアンサーを出しておきたかった。

 

五十鈴の話し方が小5時代よりスレた感じになってるのはスランプのせいもあるだろうけど、シンプルに手癖だなぁと今読んでて感じる。

でも「変わること」もやが君において重要なテーマなので、結構意図してひねくれた感じに書いてたようにも思う。

過去の出来事を経て変わってしまった五十鈴が、もう一度未来に歩んで行くために変わっていく話にしたかったんですよね。

人が変わることは止められない。それは時に恐ろしいもの……だけど人間何度だって変われるよ、ということが言いたかったんだと思う。

 

 

三章 呼び水

サブタイトルは原作19話「逃げ水」より。

この章は最後までタイトルが決まっていなかったのですが、出口の助言により決定。この作品は半分くらい彼のおかげでできたようなものだと思う。

 

この章はとにかく「愛」の非永遠性というか、「何かを好きであり続けることの難しさ」が主軸でした。

「愛の非永遠性」についてはやが君が終わる少し前くらいから私と出口の間でよく議題に挙がっていたテーマで、「やが君が終わってから数年経った後に、今と同じくらいこの作品を好きであることは難しいよね」ということを日が暮れるまで京都駅の屋上で話し合っていました。

 

そこで辿り着いた結論が作中でもあった「『好き』という気持ちは器に注がれた水と同じ」という考え方です。

新しいものが継ぎ足されて薄まってしまったとしても、ゼロになるわけではない。たとえ見えなくなったとしても、自分の人生の一部となって確かにそこに残っている。

同じことをもう何度も言っていますが、「やがて君になる」という作品が自分の人生の一部であることは、何より幸せなことだと思います。

 

出口の方はというと、「席がある」という考え方をしていました。

たとえ今はいなくても、確かにそこにいたという証があること。帰ってきた時に座れる場所があること。表現の仕方は異なりますが、二人とも大体同じ結論に辿り着いたなぁと感じています。

 

本編の話に戻ると、「ねこかもしれないねこじゃないかもしれないおばけ」とかウミウシさんのぬいぐるみとか、喫茶店Echoの看板の裏表とか、だから何やねんみたいな原作ネタが結構多い。本当にだから何やねんとしか言いようがない。

 Echoの看板の裏表って、確かアニメが初出で原作最終回で確定したんじゃなかったっけ。本当にだから何だよという感じですが。

さらにマジでどうでもいい話をすると、ゲーセンで純香が使っていたキャラはバイソンという設定。だから何?

 

結果が伴わなくても好きで居ることはできること、何かを好きで居続けるのは難しいこと、自分の中にある『好き』に対し逃げずに向き合うこと……繋ぎの話ではあるけれど、一番大事なことを話している章かもしれない。

 

 

四章 溢れる

サブタイトルは原作34話「零れる」より。

 

文と五十鈴の決着を付ける話。……というより、五十鈴が自分のトラウマと決着を付ける話なんだと思います。

 

この本を書いている最中、佐伯さんと五十鈴との出会いは呪いではなく祝福であってほしいな、という思いが常にありました。

過去の出来事をきれいな宝物として未来に持っていく。時間とともに薄れていってしまったとしても、決して自分の中からなくなったりはしない。

終わってしまった「やが君」を、思い出として抱えていこうという気持ちも製作する上でのモチベーションでした。そこも顕著に表れているというか……今読むと結構気持ちの乗った作品だなぁ。

 

「世界はプールと同じ」という考えも、やが君を通じて多くの人と関わったことで生まれた考え方です。

一人一人レーンで区切られた人生を生きているけれど、同じ水の中でゆるやかに繋がっている……という。

そういう繋がりを大事にしたいなと思えるようになったし、そう思わせてくれるだけの友人と出会うきっかけとなったやが君には本当に感謝してもし足りないですね。

 

五章 航路

サブタイトルは原作最終話「船路」より。

 

「昔、水の中でとてもきれいなものを見たんです。だから……えっとつまり、泳ぐのが好きなんですね」

ささつにおける5の最後のセリフ。

この台詞を最後に持って来ようと書き始めた時から思っていました。

佐伯さんとの別れから、この台詞に至るまでの道程を書く!という意思と言うか……「俺が書かなきゃいけないんだ!」という執念がギリギリの状況でも執筆のモチベーションになっていたのを覚えています。

あの頃みたいなギラギラした自分に戻りたい……。

 

五十鈴と純香は個人的に明確にくっつけたつもりではなかったんですけど、今読むと結構イチャついてて驚く。びっくりだね。

やが君原作とささつのラストシーンが夜だったので、この作品は夜明けと共にエンディングに入ろうと考えていました。インタビュー周りのシーンはエンドロールの後に流れるイメージ。

 

七海さんに変わってほしいと望み、尽力した小糸さんとは違い、純香は変わっていく五十鈴を静かに見守ってくれる人ですね。

彼女はどこまで行っても陸の人ですが、だからこそ海に出た五十鈴が帰ってくる場所であってほしいというか……そんな感じ。

 

 

表紙について

表紙は友人のあや鳥さん(@Ayatori90)にお願いしました。彼は最近コミカライズの仕事が決まっています。めでたい。みんなで読もう。

 

「ひと目見たときに『やが君の本』だとわからない感じでお願いします!」

「別に『一見さんお断り』みたいな感じになっても俺は困らない」

「もっとボカしちゃって大丈夫です!顔も分からないくらいがいい!!」

とかいう同人誌の表紙とは思えないような注文にも快く対応してくれました。

 

それ以外では、やが君らしく「プールの水面に星を映してほしい」

イベリスの花を入れてほしい」というような感じの依頼をしましたね。

ちなみにイベリス花言葉は「初恋の思い出」です。

 

原稿上がるのがギリギリになって背幅調整に手間取らせたりと、かなりご迷惑をお掛けしました……。現在進行形で色々迷惑を掛けているので今のうちに謝っときます。申し訳ない。本当ありがとうね!

 

総評

総じて自分自身が「やがて君になる」という作品に触れて考えたこと、感じたことを全て詰め込んだような作品だなぁと今読んで思う。

それと同時に「5沙」というカップリングと決着をつけるための作品だったんだな、とも。

 

私は二次創作について「『正解』はないが『間違い』はある」というスタンスを取り続けているので、5沙を好きだった人間として「やがて君になる」そのものに対して筋を通す必要があったというか……。心の問題ではあるんですけど。

 

広義の5沙はある。けれど狭義の5沙はない。少なくとも、佐伯沙弥香さんが選んだのは彼女ではない。

そこにはっきり向き合った上で、改めて「5沙」というカップリングを書かなければならなかった。

それをなぁなぁにすることは枝元陽さんの存在を、佐伯沙弥香さんの選択を、ひいては『やがて君になる』という作品そのものを蔑ろにするのと同義なので。

 

二次創作って確かに自由だけれど、自由だからこそ重んじるべき仁義があると思っている。

どこまで行っても他人様の作品だし、そこにある人生をお借りするものだから。

私自身、全てに筋が通っていたかと言われるとそうでもないですが……。それでもやっぱり「筋を通そうとする意志」は大事だと思う。これはもう人生における全てにおいて言えることで、二次創作が云々以前の問題として。

当然人によって重んじる義の方向性や程度は違うと思いますが、「筋を通す」という気持ちだけは持ち続けていたいですね。それって結局のところ『愛』なんじゃないか、と思うので。

 

尊敬する友人の言葉を借りますが、人間善く在ることは難しい。けれど善く在ろうとすることはできる。

今やインターネットが酷い有様になっている時代ですが、そんな今だからこそ自分の中にある義を見つめ直してほしい。善く在ろうとしてほしい。『愛』とは何かについて今一度考えてみてほしい。

 

 

色々書きましたが、結局のところ「Achernar」は祈りの産物だったんだと思います。

それは「やがて君になる」への祈りであり、佐伯沙弥香さんへの祈りであり、小5ちゃんへの祈りであり、愛への祈りであり……その他諸々。

この作品が誰かの人生を形作る一滴になれたのなら、それは私にとって何より嬉しいことです。

 

もう殆どTwitterを触ることもなくなり、「かそく/旧ヶ丘速贄」名義で作品を書くこともなくなりましたが、気が向けばこうして文字を綴っていこうとは思っています。それが「作品」という形をとることもあるでしょう。

やが君に関しても、まだ一つ書き残したものがありますし。

 

人生って川ですから。どこかで流れが交わった時は、またよろしくお願いしますね。